稲沢東高校定時制24年間を記念した「輝き」の碑

会社のバスで登下校。

45分の4時間授業
午前に授業、午後に仕事の週と
午前に仕事、午後に授業の週を交互に行いました。

4年間の間に色々なことがあります。


残念なことに
勤務していた会社の経営が行き詰まり、やむなく故郷に戻る生徒もいました。

無事卒業したのは6割の生徒でした。

入学者の出身県で最も多かったのは長崎県、
次いで青森県、愛知県
北海道と続きます。


昭和の終わりから入学者が減り、
平成4年の最後の入学者は18名。(卒業は6名)

昭和47年の入学生。A組、B組2クラス。1クラス45名でした。
中学校の制服を着ての入学でした。だから、制服もまちまち。
この後、稲沢東高校の制服を買って、2年生になる頃には全員稲沢東高校の制服です。

定時制のお話を少し

定時制は平成7年度に幕を閉じます。
24年間で、卒業生は760名にのぼります。

開校当初は全日制の校舎の中でした。
定時制専用の校舎ができるのは開校9年目の昭和55年です。

全日制もクラス増があり、校舎の建て増しをしました。

稲沢東高校の定時制は開校2年目(昭和47年)に始まります。
当時、尾張地方は繊維産業が隆盛を極め、尾州ブランドとして多くの工場がありました。
いまでも、一宮市を中心にその生産は全国でも有数です。
多くの工員が全国から集まりました。
そんな中、中学を卒業し、尾張地区で働く女子のための高校として、稲沢東高校定時制が開校しました。